第二章 第六節 哀歌概説3

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第四章 シオンの過去と現在の対照

本章の内容も第一節の

「ああ黄金は光をうしなひ、純金は色を変じ、聖所の石はもろもろのちまたの口に投げすてられたり」

と云う言に依て現わされている。而して此の対は、

「わが民の中なる貫き人は從前には雪よりもきよらかに乳よりも白く、珊瑚よりも体紅(くれない)色にしてその形貌(かたち)のうるはしきこと藍玉のごとくなりしが」、「いまはその面くろきが上に黒く、ちまたにあるとも人にしられず、 その皮は骨にひたと貼(つ)き、乾きて枯木のごとくなれり」

と云う二つの表現に依て示されている(七節対八節)。此の部分の終には、エルサレム落城の時、手をうって笑ったと謂われるエドムに対する 憎悪感が(詩百三十七篇七節)、強く現われている(二十一ー二十二節)。

第五章 神の憐憫に対する愁訴

本章の內容も亦その第一節の

「エホバよ、我らにありし所の事をおもひたまへ、我らのはづかしめをかへりみ觀(み)たまへ」

と云う言に依て現わされている。此の部分の表現は、前四章に於けるより一層深刻となり、その苦悩がより切実となつている。

「われらの産業は外国人に歸し、われらの家屋は他国人の有となれり……われらは金を出して自己の水を飲み、おのれの薪を得るにも價(あたい)をはらふ ……奴僕等(しもべどもら)われらを制するに誰ありて我らを之が手よりすくひ出すものなし」

とは (二・四・八節)、 その現実を歌ったものであつた。而して第四章に於ける救拯の希望は、茲では再び失われ、「われらの父は罪ををかして已(すで)に世にあらず、我らその罪を負ふなり」と云う嘆声が(七節)、その魂の奥底から呼び出されている。而してその最後の祈は、

「エホバよ、ねがはくは我らをして汝に歸らしめたまへ。われら歸るべし、我らの日を新たにして昔日の日のごとくならしめたまへ、さりとも汝まつ たく我らを棄てたまひしや、痛くわれらを怒りのたまや」

と云う、全民族の神に対する愁訴となっている。
哀歌は氣分に於て雅歌と対蹠的に立つ書物であると謂われた。此の事は今、哀歌の內容を概觀して、初めて明らかになった筈である。即ち、雅歌に於ける教會と基督との愛による交通は、哀歌に於ける認罪と悔改の淚の後に、なければならない。隨つて此の二つの歌集は、不可分離の関係にある。哀歌なき雅歌は、自然的神秘主義となる。雅歌なき哀歌は、歡喜を知らざる宗教となる。

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舊約聖書概説>第六節 哀歌概説3、終わり、次は第三章 旧約聖書の預言書 序

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