第一章 第八節「サム工儿前書概說」6

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第三サウルとダビデ 2/3

⁋「しかるにエホバ、サムエルにいひたまひけるは、其容貌と身長を観るなかれ、我すでにかれを、すてたり、わが見るところは人に異なり、人は外の貌(かたち)を見、エホバは心をみるなり」(十六章七節)。

此の神の言を聴いたサムエルは、今更の如く外容の立派さが、如何に人物評価に対して、当てにならぬものであるかを感じないでは居られなかった。

「キシにサウルと名づくる子あり、壮(さかん)にして美はし、イスラエルの子孫の中に彼より美はしき者なく、肩より上民のいづれの人よりも高し」

と云う棄てられた王サウルの肉体的の立派さが、もう一度彼に想い出されたのであった(九章二節)、斯くし てサムエルはエッサイの末子にして、全家より価値無しと見られて居た少年ダビデを、神の選み給える者と識り、之に膏(あぶら)注いだ。此の日より神の霊少年ダビデの上に臨んだ。一方に新しき人が斯く神の選によって出現すると、他方に神に棄てられた古き人が、悪霊に悩まされ、懊悩(おうのう)の裡(うち)にその日を過さなければならなかった(十六章十四節以下)。皮肉にも此の懊悩の種にあるサウルを慰めんが為、少年ダビデが宮中に連れられ、その弾琴によって彼に奉仕し、併せてその侍臣となった。侍臣となった彼に、更にサウル王の寵(めぐむ)を増す事が発生した。愈々時来ってイスラエル軍はペリシテ軍と相対峙する事になった(十七章)。時にペリシテ軍から一丈に余る巨人が、毎日イスラエル軍の前に現われて、嘲(あざけ)りつつ挑戦した。然しイスラエル側からは誰ひとり此の挑戦に応え得る者はなかった。時に少年ダビデが之に立ち向い、遂に之を打ち倒した。斯(か)くサウルに仕えたダビデは、徐々に その戦う者としての技術を磨き、全イスラエルにその武勇を謳われるようになった。或る時サウルとダビデがペリシテ戦争から凱戦して来た時に、多くの婦女が歌いつつ彼を迎え、「サウルは千をうち殺し、ダビデは万をうち殺す(18:7)」とコーラスを繰返し繰返し歌った。此の事は明かにサウルとダビデの勇に上下をつけた事で、サウルの自負心を甚だしく傷けた。「サウル此の日より後ダビデを目がけたり」とその敵意が嫉妬心を基として、ダビデに向って懐(いだ)かれた事が記録されて居る(十八章六ー九節)。此處に両者の破綻が表面的になって来た。而して遂にダビデはサウルの宮廷より遁(のが)れ、サウルの娘にして彼の妻となったミカルを残して流謫(るたく)生活を送る事となった(18-30章)。この間は実にダビデにとって苦難の時でしたが、同時に訓練の時でもあった。 全イスラエルの王たるべく神の選みをうけた彼は、未だイスラエルの王位に即くべきではなかった。 苦難の経験とそれを通しての訓練とが彼に対して必要であった。

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