第一章 第三節 「レビ記 概說」5

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第三「如何に活きて礼拝すべきか」(民衆)十一章〜二十七章

⁋犠牲の贖(あがない)により、祭司の執成(とりな)しによって初めて礼拝する事を許される選民イスラエルは、次に不 断の礼拝者としてのその生活を、全ての面に於て「分離」しなければならなかった。本書の中心として云われて居る「イスラエルの子孫の全会衆に告てこれに言え、汝等宜(よろ)しく聖(きよく)あるべし、其は我エホバ汝らの神聖くあればなり」と云う言が示す如く(十九章二節)、選民イスラエルは「聖くなければならなかった。聖とは分離を意味する。即ち神在(いま)すところ、聖ならざる一切のものは遠ざけられる。此の「分離」は「空間的」の世界と、「時間的」の世界とに表わされなければならない。前者は「もの」の世界に於ける分離であり、後者は「とき」の世界に於ける分離である。

(1)「もの」の世界に於ける分離(十一章〜二十二章)

⁋此の「もの」の世界に於ける分離は、第一に・民の住まう「家」に於て行われ、その穢(けがれ)が除去されなければならない。第二に・その周囲の全ての「生物」の世界に於て行われなければならない。それは先ず「獣畜」の中に、「水にあるもの」の中に、「鳥類」の中に、「蟲(むし)類」の中に於て表わされる。第三に・人間の世界に表わされなければならない(十二章以下)。即ち先ず「婦人」の穢に就て、「人」の職に就て、「流出」に就て、厳重に規定せられて居る。更に進んで「社会」的関係に於て此の分離が表わされねばならない (十八章以下)。殊にそれは性的関係に於て、宗教的関係に於て、特に祭司の身体と生活とに於て、 厳重に規定せられて居る。

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